【連載コラム】写真家 大和田良 なにかに出会い、だれかに出会う。写真は、出会いの芸術。

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Photography & Essey「うすあかりと、写真」第2回

撮影データ:キヤノン EOS 5D Mark II/EF 50mm f1.4/絞り優先オート(1/125s/F9.0)/ISO400/WB 太陽光

写真を志していくということには、人それぞれ様々な方法があるだろうし、そこには十人十色の特別な思いがあるだろう。また、結果的にそれがより特別であるからこそ写真家として成立するという考え方もあるかもしれない。それでは逆に、その中で共通するものがあるとするならばなにか。
そのひとつには、人との出会いがあるように思う。だれかに出会うことで教えられ、助けられ、気付いていく。人との関わりなしになにかを作りあげるというのはなかなか難しい。それは写真だけではなく、生きることそのものにも関係する問題かもしれない。自分のことを思うと、予備校時代に芸術という学科があるのだということを教えてくれた友人、写真の面白さを気付かせてくれた大学の先生たち、負けたくないと思った大学の同級生、それから社会に出てから仕事を通じて共になにかを作ってきた仲間。その誰か一人に会わなかったとしても僕の過ぎてきた道のりは変わってしまったことだろう。そのなかには無意識のなかで多大な影響を受けてきたであろう人も多く含まれる。だれにも会うことなく、作品を通してすらコミュニーケーションを取ることがない。そのような制作方法があるとするならそれは僕にとって未知の領域だと思える。
「写真とは、出会いの芸術である」と、僕は細江英公先生に教えられた。東京工芸大学の写真学科に在籍していた頃だ。写真は目の前のものごとを正確に記録するという機能を持っている。それは写真の性質であり、ほとんどそれが写真の持つ働きの全てであると言っても良いかも知れない。そこに加えられる表現や形態というものは作家それぞれが任意に付け加えるわけだけれど、それも写真=記録という枠組みから逃れられることはほとんど無いだろう。逃れたとして、今度はそれを写真で行うという意味付けのみに絡め取られてしまいそうな気がする。そこで僕らにできることと言えば、カメラを持ち、様々な光景をレンズ越しに見ることだろう。それでは自分はなにを見ようかと考え、本を読んだり外を歩いたりしているうちに、ふと思い出されるのが「出会い」という言葉だ。
なにかに出会い、だれかに出会う。その積み重ねが写真を志すようになってから今までの時間のほとんどを形作ってきたように思える。そのひとつひとつは小さなものかもしれない。しかしながら、振り返ってみたときに見えるその体積は、それら小さな出会いによるものだったのだと今では気付く。この先もその「出会い」を続けていくことが、写真を志すということにおいて大切なことだと改めて思う。

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写真・文=大和田 良
東京工芸大学大学院メディアアート専攻修了。05年スイスエリゼ美術館による「reGeneration 50 photographers of tomorrow」に選出され以降国内外で作品を多数発表。
http://www.ryoohwada.com/

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