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【連載コラム】写真家 大和田良 どこにでもある風景が、特別になる。誰かにとって、特別な写真。

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Photography & Essey「うすあかりと、写真」第8回

キヤノン EOS 5D MarkII /EF50mm F1.4 USM/マニュアル( F8/1/500)/ISO 200/WB:太陽光

 街を表すイメージというのはなんだろう。例えばこの写真は、単なる夕暮れの風景に感じられる人は多いだろう。どこにでもあるような典型的な光景でつまらないと思う人もいることだと思う。しかしながら、ある特定の人には特別な感情を抱かせる写真でもある。具体的には、それは仙台(あるいはその近郊)出身の人たちになる。
 僕は19歳のとき、大学に進学するために東京に出た。この風景はそのとき見た風景である。盆と暮れに仙台に帰る、新幹線の車内アナウンスが仙台駅到着を告げた頃に見える風景でもある。そしてまた東京に戻る車内の座席に着いて眺める風景でもある。「帰ってきたなぁ」と思い、「また帰ってこよう」と思い続けてきた風景なのだ。だから僕にとって仙台を象徴するイメージは、伊達政宗の像でもなく、仙台駅でもなく、どこにでもあるように見えるこの風景なのだ。
 これは単に僕だけに当てはまるものではない。今まで何人かの仙台出身者にこの写真を見てもらったことがあるが、やはり共感を持つ人が多いようだ。皆が上京の際にこの風景を眺め、仙台に帰るときにこの風景を見ている。それは普段意識していることではないかもしれないけれど、潜在的に仙台の写真というのはこれなのだと知っていることに繋がっていく。
 だから、ある人にとっては写真の裏側にある意味が読み取れ、またある人にとってはつまらない写真になる。そのように考えたうえで提示するべき写真がある。僕はこの写真からそういうことを考えるようになった。
 この写真は仙台の外に出た人にだけ見える風景でもある。内側にいるだけでは見えない、外から来ただけでは見えない、内と外を繋げるなにかをここでは撮ろうとしたのだと思う。
 海外によく出かけるようになってから、成田の帰りのリムジンバスで眺めるレインボーブリッジからの東京の都市風景は特別なものになった。仕事帰りに目黒駅から自宅へ向かう「大岡山小学校前行き」のバスの車窓から見る大鳥神社の姿もまたそうだ。
 そこで撮ろうとする写真は、特定の場所を捉えようとするものではない。自分の思いかたや考えかた、あるいは土地の磁場のようなものを見ようとすることだろう。
 様々な被写体に対峙するとき、なぜそれを撮ろうとするのか、どうしてそのような方法になるのか、そんなことを考えると、ふと僕の頭に浮かぶのはこの仙台の写真であることが多いように思う。

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写真・文=大和田 良
東京工芸大学大学院メディアアート専攻修了。05年スイスエリゼ美術館による「reGeneration 50 photographers of tomorrow」に選出され以降国内外で作品を多数発表。
http://www.ryoohwada.com/

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