英国を代表するファッション・ブランド、プリティーグリーン青山本店で開催されたハービー・山口さんの写真展を、搬入当日から密着取材!本ページでは、展示期間中に行われた、人気スタイリスト 馬場圭介さんとのトークショーを全文書き起こしでレポート!音楽カルチャーが華やかだった80年代。ロンドンで出会った2人の貴重なエピソードを、お届けします。
写真・文:山田敦士
ハービー・山口(以下 山口):馬場さんと初めてお会いしたのは80年代のロンドンでしたよね?
馬場圭介(以下 馬場):ロンドンにいたのは1985年から2年間ですね。初めてお会いしたときは、ハービーさんの仕事をお手伝いしたんですよ。かばん持ちとして(笑)。
山口:たしかファッション誌の仕事だったかな?馬場さんのスタイリングで撮影したよね。
馬場:そうそう。
山口:そもそも、なぜロンドンカルチャーに興味を持ったんですか?
馬場:18歳で東京に出てきて、19歳で初めてセックス・ピストルズを聴いたんですよ。たまたま流れていたラジオで。最初聴いた時は「なんだこれ?曲短いし、うるせー。」って思って(笑)。クラッシュやピストルズをかっこいいなって思うようになったところから興味を持ち出しましたね。
山口:もともとはスタイリストじゃなかったんですよね?
馬場:渡英して2年くらい経った頃かな。スタイリストの大久保篤志さんがロンドンに来たときに、「一緒に仕事しないか。」って、声をかけて頂いたのがきっかけですね。そのまま日本に戻って、大久保さんのもとでいろいろ勉強して、いまに至ります。
山口:ロンドンでの生活で学んだことはなんですか?
馬場:……夜遊びですかね(笑)。
山口:(笑)。その当時だと、遊び場はクラブですか?
馬場:当時、ソーホー地区にあった、タブーというクラブによく通っていて。そこのファッションパーティーには週4日くらい遊びに行ってました。
山口:その頃はどんなことをしていたんですか?
馬場:まだスタイリストになろうとすらしていなかったです。単純にファッションが好きで、ロンドンで買った古着を日本に送って小銭を稼いでました(笑)。
山口:ナイトクラブに遊びに行って、最新のファッションを見ていたわけですね。
馬場:そうです。あの頃は、ジャン=ポール・ゴルチエなどのトップデザイナーが毎週のようにパーティーへ来てましたよ。普通のストリートファッションを見るために、わざわざパリからロンドンへ来ていたらしいです。
山口:当時のロンドンは世界に比べて10年進んでいると言われてましたね。僕は1973年からロンドンで過ごしていたんですけど、毎日のように新しいファッションが生まれてました。ブリッツというクラブは知っていますか?
馬場:知ってますよ。懐かしいですね〜。
山口:当時、大人気だったカルチャー・クラブのヴォーカル、ボーイ・ジョージなんかも頻繁に出入りしていたクラブなんだけど、そこの入口にはヴィサージのスティーブ・ストレンジが立っていたんだよね。ニューロマンティックス・ブームの中心にいた人なんだけど、クラブに入るためには彼のチェックをパスする必要があったわけ。
馬場:みんなクラブの前に溜まって待ってるんですよね。そこに入っていくことが若者のステータスで、選ばれるためにおしゃれをしていくみたいな。
山口:みんな毎週、メイクも衣装も違うから、いつも別人みたいなんだよね。でも僕は、普通の服装で撮影しに行ってたから、店内の鏡に映る姿がとにかくダサくて。お客さんにも「俺ってダサいよね?」って聞いたことがあるんだ。そしたら彼らが「君の黒い髪は本物だろ? 僕らがいくら髪を染めても君の黒い髪には勝てないんだよ。」って言ってくれて。白人がうらやましいと思う部分が自分にもあるんだ。もっと自分のルーツに自信を持って良いんだって思うようになったんだよね。